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 ♪ 鹿児島 太平 ♪

Author: ♪ 鹿児島 太平 ♪
  ☆・・・★・・・☆・・・★・・・☆  卒業後中間点京都で会っていた友。何かに誘われるように、それがとても貴重であった。それぞれ仕事と家庭と忙しなく会えぬ時も長かった。その後、友は千キロ先の南の地に下った。が、運よく、出張、研修が二人の距離をまた縮めた。「やーTooru」(^0^)  「よー太平」(^_^)



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∞ 朋友コミュニケ (^Q^)
鹿児島と江戸下町に住む朋友とその仲間たちの記録 (若い奴よりもギラギラ耀いて、金持ちよりも優雅に、躓き後悔多々あれど、友よ、仲間たちよ、「萌え」・・♭・・♯・・ろ!)
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明ければ25日は2.26の前日
 西田の朋友へ

 恩師のシブタニ先生から返信メールがありました。70歳過ぎまで講義をされていたと伺っていましたが、元気で若々しい文章、見習わなければ、そんな気がしました。転送します。 ☆・・・ 太平


太平君  mail で色々と教えてくれて、ありがとう。倉本 聰の過去に、そんな深刻なstory があった事をはじめて知りました。『愚者の旅』は読んだ事がなかったので……。
 また彼が 田中絹代に、そのような思慕の情を寄せていたのも知りませんでした。僕の年代の人間にとっては、彼女は、ずっと年上の姉のような存在でしたので。『愛染かつら』前後編は中学(旧制)時代に何回も観ましたし、あの有名な主題歌も耳にこびり付いていました。僕らの頃はラジオの第一・第二放送と映画館ぐらいしか楽しみがなかったのです。アトランダムに高杉早苗、桑野道子、上原 謙、佐分利 信、佐野周二といったところが、昭和10年前後の青春スターで、そのなかで田中絹代はすでに大ベテランでした。僕の幼年時代には未だ、映画館に活弁がいたのを記憶しています。警官の臨検席というものも、ありました。80歳に、ほど近い老人の思い出です。

 そう言えば、24日の夜は新宿のオペラ・シティでバッハの演奏会があって出掛けていたのですが、かえりは大雪で家まで帰るのに難渋しました。明ければ25日は2.26事件の前日で、昭和11(1936)年のこの日、深夜から反乱部隊が決起したのでした。僕は小学4年でした。朝起きたら大雪で、昼のニューズで事件を知ったのでした。
 70年前の事件で、今年は新聞各紙も全く取上げませんでしたね。でも、僕らの年代の仲間たちは、なんとなくやり過ごせない思いを持った一日でした。 ★・・・シブタニ
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テーマ:戦争・原爆 - ジャンル:政治・経済

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