プロフィール

 ♪ 鹿児島 太平 ♪

Author: ♪ 鹿児島 太平 ♪
  ☆・・・★・・・☆・・・★・・・☆  卒業後中間点京都で会っていた友。何かに誘われるように、それがとても貴重であった。それぞれ仕事と家庭と忙しなく会えぬ時も長かった。その後、友は千キロ先の南の地に下った。が、運よく、出張、研修が二人の距離をまた縮めた。「やーTooru」(^0^)  「よー太平」(^_^)



最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

∞ 朋友コミュニケ (^Q^)
鹿児島と江戸下町に住む朋友とその仲間たちの記録 (若い奴よりもギラギラ耀いて、金持ちよりも優雅に、躓き後悔多々あれど、友よ、仲間たちよ、「萌え」・・♭・・♯・・ろ!)
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

越前 水上勉の負う風景
 西田の朋友へ

 晩秋の頃、図書館の新刊本がおいてある棚で水上勉の実子が書いた本を手に取り、フムフムと興味深く読んだ後、正月に読んでいなかった幾つかの水上作品を読んでみました。ただそれだけのことですが、少し書いてみました。


 『雁と雁の子(父水上勉との日々)』が2005年8月8日に発刊された。著者は窪島誠一郎。名字が窪島であるように、水上を親として育った子ではなかった。2歳で子供のいない靴職人窪島茂、はつ夫婦に、昭和16年の夏養子に出されたのであった。
 水上凌こと窪島誠一郎は35歳の時に実父水上勉と再会する。

 「それは天地が裂け、雷鳴が轟き、驚天動地でしたよ。人前ではかっこつけていましたが、出会ったときは涙が出ました。・・・まさかその人が、という驚き。だって自分の書棚に並んでいる作家なんですから、想像してみてください。これは驚きですよ。」
 
 実子の想いとは対照的に、水上勉は『冬の光景』という小説で、若き戻らぬ日々のことを史実のようにただ淡々と書いている。その書き方は、ただ灰色の時が続いていたかのように乾いたものであった。

 窪島誠一郎さんは、著書の中で、・・・実父からの本音を 「一度だけ、『せいちゃんは僕のことを恨んでいるんだろうな・・・捨てたんだからな、お前』『窪島さん、はつさんには頭を何度下げても足りん、せいちゃんがどんな姿で出てきてもしょうがなかったんだから。わしはついていた』と言ってました。」 とその灰色に色が差した時のことをエピソードとしてあげている。それが水上の作家としての思惑をはずしたものになったかどうかはわからないが、作家の目である前に親としての気持ちが伝わったものとして興味深い。

 水上勉自身も10歳の時に、口減らしのような形で日本海に面した若狭の村から京都のお寺に修行に出されたという過去を引きずっている。『飢餓海峡』『五番町夕霧楼』には、人としての哀れさを消せない隠微なるものたちの塵縁がつつとして描かれているが、朝露に見え隠れする人の心を打つ悲しさは、『雁と雁の子』の中に書かれてある 「心の中にけっして溶けることのない【冷蔵庫】があって」 という、水上自身の過去を抜きには語れない不器用さが描くやるせなさなのか。
 22歳でできた子供を人手に任せた。いや捨てた。原因は貧困と肺結核であったのか?それとも若さの持つ無責任さと生活観の乏しい未知なるものへの慟哭がなさせたのだろうか?

 古希になる前年の1989年に発行された『私の履歴書』に、水上は自己の女性遍歴を次のように淡々と語っている。

「人はどうかしらぬが、ぼくの19、20歳は、ニキビも多い方だったし、旺盛な性欲の始末に困った。五番町遊郭はそのはけ口を求めての遊興だったと思う。・・・めぐりあった女性は数しれないぐらいだから省くことにするが・・・。」 (P73)

「ぼくは(中央線沿線の)寿ハウスに住むK女を識り、やがて同棲して一子をもうけたが、肺病再発で失業、子をK家にもらってもらって別れた。」「K女と別れたのちに、・・・M女を識り、東中野の川添町アパートにうつって同棲」 (P94~5)

「利己主義のぼくには自分に都合のいいところだけ、人はやさしく思え、そうして人を利用ばかりしていた。好悪もはげしいからイヤならすぐその人を捨てる。容赦のない冷酷さ。人を傷つけておいて気がついておらぬ。」 (P118)

「M女は、ある日、八百屋に行くなりで出たまま土蔵(貧乏で農家の土蔵で暮らしていた)へ帰えらなくなった。あいそをつかされたことがわかるのに時間がかかった。・・・子まで捨てて出ていったM女には、もはや、そのようにするしか道がなかったにちがいない。ぼくは3歳になったばかりの子(長女蕗子)をあずけられて途方にくれ
た。」 (P121)

「ぼくは、市川国府台に近い、松戸市下矢切という地区に移った。行商中に、いまの家内の西方叡子とめぐりあい、家内が若狭にあずけている子をよぶようにといってくれた。」 (P126)

「妻は、ぼくに収入がないため、神田のサロンMにつとめてくれるようになっていた。情けない話だ。またぞろ妻に水商売をさせるハメになってしまった。」 (P132)

 薄幸な女と劣等感を持ち続けながら大人になりきれない少年を軸に描く水上作品には、『越前竹人形』といい、人を描かねばという宿命に似た想いと日本海の灰色が持つ淡々とした風景がどこまでも漂っているようだ。
 小説というフィクションの世界であれば異質なものは存在感を増すが、人の生をフリーズする作家の子として血族を離れて生きた子供の人生は何なんであったのだろうか。『雁と雁の子』を読むと、水上の子である誠一郎さんは、水上と会う前にすでに文化人として成功し成長した大人であった。そこには、水上勉に対する甘えも恨みもなく、自己を独立することで父を認めようとする清々しいまでの気持ちがある。これは意地に似たものかもしれないが、人はそれぞれ『自分の生を自分の思いで生きているのだ』という声がしているように私には感じた。蕗子さんの優しさをうれしそうに感じている誠一郎さんは、勉22歳の時の子なので、もう還暦をとうに過ぎていて子供ではない。題名が著すように、雁の子はまた雁の子として生き抜いていた。この著書を読み終わった後、私は『雁の子』という独り歩きしていた水上作品に出会ったような、ノンフィクションの不思議さを感じる想いであった。

                    ☆・・・ 太平


スポンサーサイト

テーマ:読書メモ - ジャンル:本・雑誌

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://hoyo2000.blog50.fc2.com/tb.php/38-6f16655a
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。